ゲイひとり大地を行く

50歳ゲイのひとりごと。19年間の社会不安障害との闘いを乗り越え、現在はより良い人生を求め日々模索中。

静寂な中で想う

早いものでもう9月。

8月は家業が忙しく毎日疲労困憊。ブログ更新までの余力がありませんでした。
9月に入りちょっと時間ができたので、1ヶ月半ぶりに書きますね。

さて、我が家は灯りが消えたように静かになってしまいました。もう停電状態。
と言うのは、コロナ禍でオンライン授業化とスポーツ部の寮閉鎖のため、3月からうちに居候していた大学2年生の甥っ子が寮へと戻って行きました。東京はまだまだ感染者数が3桁を越えているので少々心配な所はあるけれど、部としてはいつまでも休んでいられないようで仕方がないことですね。

とにかく賑やかな子で、陰キャの僕にしてみれば可愛い可愛い甥っ子とは言え「うるせぇ野郎だ」とか「早く寮に戻ってくれ」などと時折思ったりもしたし、40代後半の体力などお構いなしに付き合わされるから疲れることも多々あったけれど、いざ帰ってしまうと寂しくなってしまい明日からの張り合いがなくなってしまったような気持ちです。日中は人の出入りの多い家業なので賑やかな中で過ごしていますが、夕方から夜になると静まり返るので、特に今は甥っ子がいた時とのギャップが大きすぎて違和感満載です。

同年代の他の人(特にゲイとか関係なく独身の方)はどうなのかわかりませんが、僕は40代後半になってから家にいてシ~ンとする雰囲気に少々怖さを感じるようになりました。性格上、静かな環境でひとりきりというのが大好きです。でも最近はそんな環境の中でふと考えた時に若い時には決して感じなかった感覚を覚えるようになりました。

それは何故かというのは自分でよく理解しています。10代、20代の頃は両親もまだまだ若くて元気で祖父母も健在、愛犬も元気で大好きな親類や知人も周りにいました。自分がひとりでいて寂しくなって会いたくなったら皆がいたわけです。と言うか、当時はみんなが当たり前に存在していたから、遠くアメリカでひとりでいても、逆に寂しくなかったし会いたいとも思いませんでした。でも今は次々とあの世へ行ってしまって自分だけが取り残されていく状態。会いたいと思って世界中を探し歩いたとしても誰にも会えません。本当に本当にひとりきりになってしまって誰もいなくなってしまったらどうしようという不安が、静けさの中ふとした瞬間自分の全身をよぎることがあるのです。特に春先や冬の朝方、まだ外が暗いうちの静かな時間帯に目が覚めてぬくぬくと温かい羽毛布団の中でじっとしているとよくそんな不安にかられることがあります。

そんな時いつも考えてしまうのは、"みんなより先に死んでしまいたい"ということ。兄よりも先に、兄嫁よりも先に。究極な事を言えば母親よりも先に。

とは言っても、自殺願望など全くありません。そこの所は強調しておきます。やりたいことが多すぎてむしろ長生きしたい。特に僕の場合は社会不安障害で19年間苦しめられそれを克服したということがあるから、これから先少なくともその苦しかった分の倍は障害とは無縁の人生を歩みたいと思っているぐらいです。でも、"ひとりになる"かもしれないという可能性を想像してしまうと、"長生きしたい"という思いと"みんなより先に死んでしまいたい"という思いが交錯してしまい、ひとり取り残され寂しい想いをするのであれば先に死んでしまった方がいいのではないかと考えてしまうのです。

この半年間は甥っ子が同じ屋根の下にいて賑やかな毎日だったので不安になるとかそういう気持ちは起こりませんでしたが、今夜からまた母とふたりきり。ふとした瞬間に寂しくなって不安になってしまうのではないかと自分で自分を心配しています。

まぁとにかく、この9月は穏やかに過ぎ去ってくれればいいなとそればかりを願っていま


では、また~