GAYひとり大地を行く

40代ゲイのひとりごと。19年間の社会不安障害との闘いを乗り越え、現在はより良い人生を求め日々模索中。

現在・過去・未来

母がいきなり「もう18年になるんだよ」と言い出すので何のことかと思ったら、僕が日本に完全帰国してから18年ということだそうです。

ん~、確かに18年。

2001年8月8日に僕は8年間の米国生活を終えて日本に完全帰国し、その約1か月後の9月11日にアメリカ同時多発テロ事件が発生しました。僕としては「あれっ?同じ年に起きたんだっけ?」ぐらいの記憶なのですが、母の中ではその事が強く印象に残っているらしく、ニュースなどでテロの追悼の模様を見ると僕が日本に帰って来て何年ということを必ず考えるのだそうです。

ひとことで18年と言いますけど、僕の甥っ子が誕生したのも2001年で今や彼も大学1年生ですから随分と月日が流れたことを感じます。

この18年の自分自身を振り返ると、20代、30代、40代と来て様々な事に対する価値観や考え方がかなり変わったなと思います。でも何といっても一番の変化は、社会不安障害という苦悩の日々から解放されたことです。

障害がピークを迎えた1993年に逃げるように日本を脱出しアメリカで生活を始めたことでいくらか状態は良くなったけれど、2001年に帰国してから逆カルチャーショックでストレスが重なったことで障害が再び悪化し、ピーク時ほどではないものの相当苦しみました。

ほんとに些細なことも怖くてできないのですよ。電車に乗れない、買い物でレジに並べない、電話をかけられない/受けられない、人前で字を書けない、人と話すと全身汗だくになる、おしっこする時に後ろに並ばれるとおしっこが出なくなる.......などなど。 一番厄介なのはこれらの症状が毎回出るとは限らないということです。全く恐怖を感じないで出来る時もあり安心しきっていると、ある日突然また出来なくなる。また突然出来るようになり、また出来なくなる。もうその繰り返しです。ですから完全な終わりが見えなくて毎日何をするにしても恐怖でしかありません。

でも36歳の時に「あなたは立派な社会不安障害ですよ」と診断されたのを機に、ハイスピードで快方に向かいます。それまで自分はただの"キチガイ"だと思っていましたから、どうしてそういう症状が出るのかという明確な原因がわかり、たとえ電車が怖いと思っても「自分はキチガイじゃないんだ」と断定することができ気持ちが楽になっていきました。

また年齢を重ねたことも症状が回復するのに拍車をかけたと思います。例えば、若い頃であれば人目を異常なまでに意識しすぎて自分の外見を病的なまでに気にしていたけれど、今は40代。白髪やしわなんて誰にでもあるし、見た目だって変わるのは当然のこと。電車を怖いと思うどころか、電車に乗ったら1駅でも何が何でも座ろうとする図々しさまで出てきました。

障害で苦しかった時期は体に100トンの重りを背負わされ、目隠しをがんじがらめにしめられているような動きも取れず何も見えない状態だったけれど、今はそれもなくなり世界が良く見え、落ち着いて物事を考えることが出来ます。

僕の過去はあまりにも重すぎたから、これからは何でも軽やかでいたい。

現在は必要のない物をそぎ落として、大切な人や物をいつくしみ、できるだけシンプルに身軽に、つつましくありたいと思っています。

そしてこれからの未来は、いつまでも健康で若々しく、いつの日か一生を添い遂げることが出来る人に巡り合う。そんな夢を持っている今日この頃です。

では、また~








アメリカ旅行記⑫ ダウンタウン・ロサンゼルス

そう言えば、アメリ旅行記まだ終わってないんだよね。
前回の第11弾から約半年になるけど、また再開します。

ただし、不定期。不定期もいいとこ。ほんとに気が向いた時だけ。
今日は突然にその気になったので第12弾をお届けするけど、次はいつになるかわかりませんわっ。

なにせ旅行中に撮影した写真が400枚を超えるので、写真を選んだりアップロードしたりするだけでも一苦労。

まぁとにかく第12弾ダウンタウン・ロサンゼルス編を書いたので、読んでいただけたら嬉しいです。

 

 

 

 






 

ハリウッド&ビバリーヒルズツアーからホテルへ戻ったのが午後2時頃。
ツアーは充分に楽しかったけど、何だか中途半端な量の食事をしたような物足りない気分。特にハリウッドは見足りない感が満載。時間もまだ早いことだし、もう1回ハリウッド行っちゃう?ということで、ホテルで少々休んでから再びハリウッドにGO。

その前にロサンゼルスのダウンタウンも見てみたくない?ということで、まずはダウンタウンへ。

ダウンタウンまではメトロ・レイルと呼ばれる電車で向かいました。

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ホテルから歩いて約5分のCivic Center/Grand Park Stationから乗りました。

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昼間なのに人が少ない.........大丈夫かな.......ほんとにこの下に駅があって電車がくるのかな?という雰囲気で最初はかなり不安でした。

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こちらの券売機でTapカードと呼ばれる切符を購入します。そこはアメリカ。当然ながらお釣は出ませんよ。クレジットカードでも購入できますが、現金の場合はぴったし用意しましょう。

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メトロ・レイルは6路線あり、色で分けられています。ダウンタウンまではレッドライン。ハリウッド、ユニバーサルスタジオにもレッドラインで行きます。良く見ていないとパープルラインと間違えてしまうので要注意です。ブルーラインは治安が悪い地域を走るので避けるべきだそうです。

7th St./Metro Center Stationで下車。

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予想以上に人が少ない........

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入りたい!と思える店がない........というか店がない。あっても薬局だけ。

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大きなスーパーマーケットがあったので入ってみました。お土産にエコバックを購入しました。

例えばシアトルのダウンタウンはデパートやショッピングモールがあり賑やかで活気があるのですが、ロスのダウンタウンにもそれを期待して行きましたが全然そういう雰囲気でもなく残念でした。もしかしたら、道が1本違くてそういうエリアを見逃していただけなのかもしれませんが、甥っ子と二人、ダウンタウンめっちゃつまんないねっ!ということで、そそくさとダウンタウンを後にし、再びメトロのレッドラインに乗ってハリウッドへ向かいました。

メトロ・レイルは危険ではないと思いますが、日本の感覚からしたら治安が良いとは言えないかもしれません。突然立ち上がって怒鳴り出す若い黒人男性(一瞬、僕が怒鳴られてるのかと思い焦ったが、ただの一人怒鳴りだったみたい)。静かに座っている女性に対していきなり切れて喧嘩を吹っ掛ける白人女性(ティッシュペーパーを女性の顔めがけて投げつけており、被害女性も周りも困惑の様子)。通路にラジカセを置いて大音量で音楽を流す黒人男性。運賃は絶対に払わないと主張し、セキュリティに囲まれている黒人女性(セキュリティーは諦めて行ってしまったのには驚き。結局女性はただ乗り許されたみたい)。などなど日本ではめったにお見掛けしないような人達が乗車していました。こんなことを言っては申し訳ないけれど、メトロは主に低所得者層に利用されているのかなという印象でした。ただ、足のない観光客の僕達にとってはメトロはとても便利で、ロス滞在中は8回利用しました。

13弾は再びハリウッドについてになりますが、先述したようにいつになるかわかりません。期待しませんように。

では、また~







音楽を聴いて蘇る記憶あれこれ

「歌手のASKACHAGE and ASKAから脱退を表明」と言うニュースをスマホで目にした時、「no no darlin'」という曲が頭の中を流れました。

僕はチャゲアスに対して特別な思い入れはないけれど、「no no darlin'」という曲だけは別です。と言うのも、この曲を耳にすると必ず僕の人生で最も辛かった時代、10代最後の頃、1991年~1992年頃、社会不安障害が最悪のピークを迎えた頃の記憶が蘇ってくるからです。

先程、YouTubeで「no no darlin'」を流してみました。とても素敵な歌なのですが、体が動かなくなり、手のひらが熱くなり、不快な記憶が蘇って来ました。

「no no darlin'」についてウィキペディアで調べてみると、曲は1992年10月10日リリース。まさに僕が社会不安障害の諸症状に最も苦しめられていた時期に合致します。67.7万枚のセールスを誇るほどのヒット曲ですから、おそらく当時色々な所で耳にしたのでしょう。そしてメロディが当時の自分の状況とがっちり結びついて記憶として脳裏に焼き付いたのだと思います。ただ、以前と違うのは、曲を聞くことで不快な記憶に押しつぶされることなく最後まで聴けるということです。それだけ社会不安障害が良くなったという証拠です。それに関してはとても嬉しいことですが、まだ「no no darlin'」を不快な感情を何ひとつ持たずして素敵な歌と捉えるには無理なようです。

このように音楽を聴くと当時の記憶を思い出すことは誰でもあることと思います。
僕のこれまでの人生においても、この時にはこの音楽、あの時にはあの音楽というように思い出と音楽とが固く結びついています。

1曲1曲紹介していてはエンドレスになってしまうので厳選してみると

例えば、曲というかアルバムですけど、松任谷由実さん

いつもブログでは松田聖子さんを慕っていることを書いていますが、僕は松任谷由実さんのファンでもあります。特に1984年~1994年のアルバム、その中でもとりわけ1984~1987年のアルバムは僕の中では別格です。

僕が子供の頃は1歩外へ出ると「女みたいだ」とゲテモノ扱いされ、笑われ罵られ辛い時期が長かったけれど、家の中はとても暖かく僕にとっては唯一安心できる場所でした。現在は祖母と父と愛犬が他界してしまったけれど、1984年~1987年までのユーミンのアルバムを聴くと家族全員揃った団らんの温もりが蘇ってきます。当時、兄がよくそのアルバムを聴いていたのでその影響があるのだと思います。今でも在りし日の家族の姿を求めて、それらのアルバムを繰り返し聴いています。

Ricky Martin   "Livin' La Vida Loca"
Jennifer Lopez  "Waiting for Tonight"
Whitney Houston "It's Not Right But It's Okay" (remix)  

この3曲は僕の人生で最も華やかだった頃、ハワイ時代を思い出します。とにかく全てが充実していました。英語での苦労はなくなっていたし、彼氏もいたし、若いし、ベストな体型で、小麦色の肌で、自分で言うのも何だけど若い時はそれなりにいい顔してたのよ~(笑)    ゲイとしても最高潮のモテ期でした。あ~、あの頃に戻りたい......

スピッツの「青い車」  

この曲は父が死んだその日の全てを思い出します。それに付随して父との思い出が全て蘇ってきます。父が死んで、病院から泣いて泣いて泣きじゃくりながら運転をして僕ひとりで自宅へ帰ったのですが、はっきりと記憶にはありませんがおそらく車の中でスピッツのアルバムを流していたんだと思います。その時の記憶が「青い車」という曲と結びついたのだと思います。父が死んで2年間は絶対に聴くことができなかったけれど、今では父の事を思い出させてくれる大切で大好きな曲です。そう思えるのも父を失った悲しみを乗り越えることができている証拠ですね。

今現在、サカナクションにはまっています。これから幸せなことが何か起きて、サカナクションの曲とその幸せなことが結びついて僕の頭の中にチャゲアスの「no no darlin'」やスピッツの「青い車」とは違う"楽しくて良い記憶の音楽"として残ってくれたらなと思っています。そんないいことが何でもいいから起きないかなぁ~ 

今では何にもないけど、そんな僕にも黙っていても人が次から次へと寄ってくるモテ期があったのですよ~。自分でも信じられない。そんな僕のピチピチ20代を思い出させてくれる2曲↓↓↓


Jennifer Lopez - Waiting For Tonight (Official Video)


Whitney Houston - It's Not Right But It's Okay (Leeok's Extended Scream Remix)


チャゲアスのニュースを見て、音楽と記憶について考えてみた今日この頃

では、また~

お盆は禁欲

今年のお盆はいかがお過ごしですか? 

西日本は台風が心配ですね。飛行機や新幹線などが運休になっているようで、なんでよりによってお盆と言う時期に来るかね。うちの商売も天候に左右されやすいから、特に今回の台風で商売あがったりの人達に対しては気の毒に思います。

さて、僕はと言いますとこのお盆は例年通り忙しく働いていると同時に(今日は雨で暇です。こんな真昼間にブログ書けるんだから)、例年通りエロ動画は一切見ない、オナニーしない、タイプの男性を見ても咥えたいなどと言う考えすら起こさない禁欲的生活を送っています。お盆中にSEXなんてとてもとても出来ませんわっ!

お盆ってそうじゃありません? ご先祖様が帰って来てるから........何だか全てを近くで見られているようで気が引けます。こんな風に感じるのは自分だけ?なんて思うけど、いつもエロいことばかり考えているから、たまには脳みそをそういうことから解放して休ませてあげてもいいかなと思います。

若い頃、特にアメリカにいる頃は夏休みも日本へは帰ってこなかったから、お盆も何も関係なく男性とヨロシクやっていたけど、日本に完全帰国して実家で過ごすようになってから、特に祖母が亡くなってからは身近な人の霊にすぐそこから見られているようで、お盆中は性欲そのものが湧かなくなり、そして3年前に父を亡くしてからは見られたら恥ずかしいと言う思いが更に強くなったと思います。

僕は父とは素晴らしい親子関係だったから、父には特に僕の淫らな姿を見られたくないという思いが強いです。お風呂に入る時も、普段なら(家族が全員寝静まった時だけ)面倒くさいから部屋で素っ裸になりバスタオル片手に全裸でお風呂まで行っちゃうんだけれど、お盆中は父と祖母の魂がその辺に突っ立ってイチモツをぶらぶらさせながら歩いて行く僕の姿を見ているかもと思うと気が引けて、全裸にはならず静々とお風呂まで行ってます(笑)

とは言っても、死んであちらの世界に行ってしまえば何でもお見通しでしょうから、僕が100%ゲイであり、四六時中おちんぽ咥えたいと思っていることも、父も祖母もご先祖様も既に知っているだろうから、今更見られてるかも~と恥ずかしがることはないと思うけど、遠い遠いあの世の空から見られているのと、お盆でこの世に帰って来てすぐそこから見られているのとでは、僕的には恥ずかしさの度合いもかなり違う訳で、やっぱりすぐ傍で見ているかもと思ってしまうとどうしてもおとなしくなってしまうのです。

そんな訳でお盆中は禁欲しているわけだけど、僕は基本禁欲って好きじゃないですね。食欲も物欲も性欲も何でも欲は満たした方が精神上いいんじゃないかと思っています。だからと言って自分の欲を追求するあまり、人様を苦しめたり、犯罪レベルのことをしては勿論絶対にダメですよ。節度を守って人様に迷惑を一切かけないように欲を満たすのは全然OKだと思います。

父は前立腺癌から膀胱癌になって亡くなったけど、ハーバード大学大学院の研究者らによると、月21回以上の射精で前立腺癌のリスクが2割減少するそうで、この調査は対象者の数が多く、結果の信頼性も高いとされ、各国で話題を呼んでいるとか。特に40代での射精頻度がモノを言うそうなんです。先日新聞で、40代以上の日本人男性に前立腺癌が激増しているという記事を読んだけど、特にうちは父が前立腺癌をやってるし息子の僕としてはやはり心配は心配です。でも、射精することで前立腺癌の予防につながるのなら喜んで射精しますよ。しかも40代の射精頻度がカギを握るらしいからね。だから基本、お盆とか父の命日とか神妙な気持ちになる日以外は禁欲なんてしないで、どんどん射精するつもりでいます.....(笑)

明日は送り盆。
父も祖母もご先祖様もまたあの世に帰ってしまうのかと思うと何となく寂しいけど、あんまり長く居られても困るわ~。そんなに禁欲できないもの........まぁ、来年またおいで、そしてまた遠くから見守っててちょうだいといった感じですね。

では、また~




真夏のスーツなどいらない

毎日暑いですね~。

この連日の暑さにこの上ない幸せを感じております。これは僕の勝手な推測ですが、どうやら暑い気候になると僕の脳内ではドーパミンセロトニンのようないわゆる幸せホルモンが分泌される体質になっているのではないかと思うのです。

とは言っても、暑さに強いとか、ひとり飄々と涼しい顔をしているわけではありません。日本の夏の蒸し暑さと言ったらもう不快そのものですよね。ハワイとは大違い。汗はダラダラ、肌はベトベト。僕の美しくない顔は崩れに崩れ落ち、暑い暑いと唸る表情は険しくなるばかり。でもその不快さも含めてこの暑い日本の夏が大好きなのです。春夏秋冬なんて面倒くさいから、いっそのこと一年中夏でいいと思うほどです。

さて、先日の金曜日の事ですが、私用を済ませるついでに東京の街を1日ブラブラとしてきました。汗を沢山かいたので体力的には疲れましたが、先述したように暑い気候の中では幸せを感じる体ですので精神的には満たされた1日を過ごすことができました。

電車に乗り街を歩いていてふと思ったのですが、サラリーマンの方々のクールビズがかなり浸透しているなという印象を受けました。

僕がアメリカから帰国した2001年当時の日本では、クールビズなどという言葉すらありませんでしたしそういう考えもありませんでしたから、真夏でもサラリーマンの殆どがスーツにネクタイ。シャツも長袖でボタンもがっちり上まで留めて、ジャケットを脱ぐとかネクタイを緩めるとか腕まくりする人さえも少なく、皆さん汗だくで、まるで我慢大会を見ているようで本当に見苦しいものでした。特に僕はハワイというスーツとはほぼ無縁の土地にいましたから、日本に帰国してその光景を見た時、自分も就職したら同じように真夏のスーツという苦難に耐えなくてはいけないのかと思うと不安に陥ったものです。幸い、真夏にスーツということもなくこれまで来てしまいましたし、現在は家業ですから服装は自由で、夏は半袖・短パン・ビーチサンダルで軽快に働いています。

自分自身がラフなスタイルで仕事をしているので、クールビズと言われるスタイルでさえ暑そうに見えるのですが、それでも真夏のスーツ姿よりは断然涼しいのは確かでしょうし、お堅い日本でラフなクールビズが浸透していくのはとても素晴らしいことだと思っています。

帰宅してクールビズについて調べたところ、クールビズを依然として認めていない企業が4割あるとか。確かにガッチリとスーツに身を包み明らかに暑さに耐え苦しんでいるサラリーマンの方々もみかけました。20代と思える1人の男性はもう茹で上がってしまったような虚ろな目でそのうち倒れてしまいそうな雰囲気でした。この高温多湿の過酷な日本の夏に、薄着をすることを"認めない"とはいったいどういう意図があってそうしているのでしょう。

よくファッション性や信用性を掲げてクールビズ反対を述べる意見があります。
例えば、欧米では長袖にジャケットがマナーとか、クールビズでは取引先に失礼で信用されないとか........

ファッション評論家などが「日本のクールビズは間違いだらけ!欧米では長袖にジャケットがマナーなのです」と声高々と主張しているようですが、意味がわかりません。特に半袖ワイシャツに対して強く否定する傾向にあり、例えば

"クールビズのワイシャツは半袖を着るべきか長袖を腕まくりするべきか。最初に結論を述べておくと、半袖のワイシャツをかっこよく着こなせる人はごく少数です。
長袖を腕まくりするほうが見栄え的にスマートなスタイルであることは間違いありません。半袖ワイシャツのダボッとしたみっともないシルエットは、洗練されたスーツ男子像とはかけ離れています。長袖をロールアップした袖から覗かせる前腕の色気は、半袖では演出することができません。半袖シャツの上からスーツを羽織るのは、ビジネスマナーとしてもファッションセンス的にもNG。また、腕にかいた汗がジャケットの袖の裏地に染み込むのもマイナスポイントです。

だそうです。
そもそもここは日本なのですから、欧米に訪問する際にはあちらのマナーに従えばいいだけであって、日本にいながらにして欧米のマナーに従う必要などありません。第一、日本の夏の暑さは極めて凶暴です。一歩間違えたら熱中症で命を落としかねないのです。それでもファッション性や色気を追求して厚着をして暑さに耐えなくてはいけない意義がどこにあるのでしょうか......確かに長袖をロールアップした袖からのぞかせる色気とか彼らの言っていることも理解できるのですが、このクソ暑い最中、皆それぞれが溢れ出る汗を拭ったり仰いだりするのに精一杯な時に、半袖シャツの人を見ていちいち洗練されていないとかやぼったいとか批判する人がどれだけいるのでしょうかね。季節にふさわしい服装をすることによって、より仕事のパフォーマンスも向上すると思うのですが、パフォーマンスより見た目のが重要なのでしょうか........

クールビズでは取引先に失礼で信用されないという意見に対しては、ほんとにそうなの?と思います。この耐え難い暑さの日本の夏にクールビズを禁止しているほうがその企業のブラック感が伝わってくるようでそちらのほうが信用できないと思うし、スーツ着て汗だくで汗臭くて訪問する方が断然失礼だし恥ずかしいと思うのですが........それに訪問される側が「薄着をしてきて失礼だ。こいつは信用できない!」と考えるならそれもどうかしてると思います。ただでさえ暑くて辛いのを知ってるんだからクールビズぐらい認めてやれよって話ですよ。僕の所にも取引先の銀行から営業マンが涼しげな半袖シャツにノーネクタイでいつも訪問に来ますが、夏らしくてこちらとしても清々しい気分になります。取引の話をするわけであって、服装の話をするわけではないのでどんな格好であろうと気にしません。逆にこの猛暑の中、長袖シャツにネクタイ&ジャケットのガッチリスーツで来たらドン引きですわ。暑くないですか?とか気になって話に集中できません。

クールビズが導入されてから15年位ですか? 賛成派・反対派、様々な意見があってそれはこれから先いつまでたっても噛み合わないことでしょう。もういっそのことお互いがお互いをつつき合うのはやめて共存していけばいいと思います。猛暑の中でも長袖のシャツにネクタイを締めジャケットを羽織るのがマナーだと信じていればそうすればいいし、ただそれを他の人に押し付けるのはやめてほしいですよね。日本の夏には涼しい服装が一番。おそらく来年のオリンピックでは真夏にスーツ姿のサラリーマンを見て失笑する外国人訪問者が多いことでしょう。

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ハワイではみんなこんな感じでアロハシャツが定番です。高級ブティックの店員さんや弁護士さんなど以外はスーツを着ている人は殆ど見たことがない.......ネクタイをしている人も極めて少ないと思います。

 

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僕がハワイで働いている頃の写真です。オフィスにて.......いっつもこんな感じでした。全ての面接にもネクタイすらしていかなかったです。ハワイではその気候に適したビジネススタイルの服装が完全に確立されています。

日本でもそうなればいいのですが......

まだまだ猛暑が続くようですからくれぐれも熱中症にならぬようご自愛くださいませ。

では、また~   













 

 

 

 






29歳のひとこま:40代になって思うこと

先日クローゼットを整理していたら、20代の頃に使っていたスケジュール帳が数冊出てきました。思い出の品として保管している物で、これまで何度も読み返してはいるけれど、久しぶりに目にしたので再びじっくりと読み返してみました。

スケジュール帳なので、その日の予定や重要メモが書かれているのは当然なのですが、簡単な日記帳としても使っていたので、何か特別なことがあるとそのことについて書いてある箇所もいくつかあります。例えば、アメリカで就職が決まった日のこと、初めてお給料を頂いた日のこと、2000年12月31日にはワイキキビーチでカウントダウンの花火を見たのですが、周りの人たちはヒューヒュー大盛り上がりなのに、僕はある理由があって最初から最後まで号泣しっぱなしだったことなどが書かれていて懐かしいなぁと思いながら読み返しました。

ただ、このスケジュール帳........親・兄弟・親戚・知人には絶対に見られたくない内容も満載で、もし自分が将来いよいよ余命幾ばくも無い時が来たらひっそりと焼却処分しておかなくてはいけない代物なのです。

その見られたくない内容とは、ずばり僕の男性とのセックス事情。関係を持った男性との情事が、ゲイDVDなどのパッケージによくあるようないやらしい性表現で詳しく書かれており、自分で実際に経験し自分で書いたこととは言え、今になって読み返すと赤面すらしてしまうほどです。

面白がってその中のひとつをここに載せてみようかとも思ったけれど、とてもとても恥ずかしく、じゃあ英訳してオブラートに包んでみたらどうかとも思ったけれど、英訳すると余計いやらしい響きになり、ただでさえ質の悪いブログを更に悪いものにするだけなのでやめました.....(笑)

その代わりっちゃなんだけど、2002年3月24日の欄に書かれていることが、40代半ばになった現在の自分の感覚からするとおもしろいなと思ったので紹介したいと思います。当時僕は29歳で37歳の男性と交際をしていました。約半年の交際を経て、3月24日その男性から別れたいと言うメールをもらってそのことについて僕の思いが書いてあります。

2002年3月24日
今日はHさんから、ごめんね、Mattは自分の彼氏に相応しないというメールをもらった。もう自分の中ではこのおじさんとはとっくに終わっていたのでスッキリしたという感じ。それにしてもこのおじさんの虫の良さには呆れました。たまには遊びに行こうよ。落ち着いたら返事くださいだって。信じられない。バカじゃないの。呆れて何を言っていいかわからない。誰もおじさんと遊びたくない。メールも面倒くさい。さよならは言いたくないだと。格好つけちゃって。たぶんこっちが落ち込んでると思ってるよ。こんなに開き直ってんのにね。笑うよ。ハッ、ハッ、ハッ。しかもこっちはとっくに浮気までしてるし。あんなおやじはほっときな。かまうだけ時間の無駄。今は仕事に頑張ること。

まぁ、こんな具合に書かれているのですが.......

 

笑うよ。ハッ、ハッ、ハッ。 あんなおやじはほっときな。かまうだけ時間の無駄

なんとまぁクソ生意気な29歳。このふてぶてしい上から目線の物言い。小突いてやりたくなります。

とっくに浮気までしてるし。
そうなんです。これは本当でちゃんとこの浮気に関しても詳しく書いてあります。この37歳の男性と交際しておきながら、裏ではちゃっかり浮気までしていたのですから、浮気してる人を非難する資格などありませんね。それにしても、今では恋愛が面倒くさいという気持ちが先行してしまってますが、積極的に活動していた自分自身が懐かしくもあり、僕も若かったなぁと感心してしまいます。

おじさんとはとっくに.......おじさんの虫の良さには.......だれもおじさんと遊びたくない.......
読んでいて一番興味深かったことは37歳の男性をおじさんと呼んでいること。


現在自分が既に37歳を経験し40代半ばになって思うに、37歳なんて全然おじさんじゃないですよ。肉体的も含めて色々な面で脂 がのっていて一番魅力的な年代じゃないですか。この交際していた男性も今思い返せば、見た目から全て決しておじさんではありませんでしたね。とても素敵な人でした。でも、おじさんと呼んでいる......29歳の自分
やっぱりそこは大人の男性をよくわからない若い自分がいたのですね。

今、20代の子が30代、40代の人に対しておじさんなんて言うと、内心カチンときて、何だとこのクソガキ!とちらっと思ってしまうのですが、29歳の僕も当時は37歳をおじさんなんて言ってたのですから、今の若い子をそうそう非難すべきではないのかもしれないですね。とはいえ、35歳ぐらいから実際におじさんかもしれないけれど、おじさんと表現するのは失礼だと思うのは僕だけでしょうか。おじさんと思ってもいいけど、30代、40代のおじさんと言うのではなく、30代、40代の男性と言いましょう....(笑)    ちょっとこれは僕の職業柄的な部分があるのかもしれないです。

ここまで書いてきて、今回のエントリーで自分が一体何を言いたいのか、どう完結しようかわからなくなってしまいましたが、要するに20代後半で思っていたことを、40代半ばになった今読み返してみると、考え方感じ方が相当変化したということに気づかされ、自分では変わっていないつもりでも、成長しているって表現はおかしいかもしれないけれど、40代的な考え方になっているんだなぁと思いました。それと、30代は勿論の事、40代なんてまだまだ若いです。残念ながらおじさんと呼ばれるにふさわしい人も多数おりますが、僕自身は、まさか20代の人と同じようにとは行きませんが、日頃から健康に気を使い、手入れは怠らずせめて実年齢マイナス5~10歳ぐらいでいたいかなと思っています。まぁ、ゲイの人は見た目に気を使ってる人が多いからね。少なくともノンケよりは若々しいんじゃないかと思います。

では、また~


Time flies

いつになったら梅雨が明けるんでしょう.....

関東地方、今日は久々に日差しが戻りましが、明日から再び曇りと雨の日が続くようで天気予報を見る度に気がめいります。先日、群馬県前橋市の10日間の日照時間の合計がたったの7分!で野菜が全然育たないというニュースを見ましたが、僕が育てている花たちも葉っぱが生い茂るだけで花が咲かず、それも日照不足が原因だとつくづく実感しています。

気温の低さも26年ぶりだそうで、8月になれば平年並みに戻るそうですが、やはりこの時期は暑い、暑いと団扇片手にヒーヒー言ってる方が夏らしくていいですね。

26年ぶりの冷夏ということは、前回は1993年のこと。1993年と言えば、僕が初渡米し人生が大きく転換した1年であり、5月には渡米したので、1993年の日本の冷夏は経験していないことになります。ですので、今年のこの日差しのない涼しい7月というのはもしかしたら僕にとって人生初の冷夏なのかもしれません。(子供の頃はどうだったかわからないが、記憶に残る夏という意味で考えた場合

この涼しい夏にも驚きですが、初めてアメリカへ行ってからもう26年の月日が流れたことに驚きです。そして、今日の昼間の番組で石原裕次郎の33回忌特集を放送していましたが、こちらもそんなに経つのかと驚きました。

どういうわけか、僕は石原裕次郎が亡くなった日のことを今でもはっきりと記憶しています。1987年7月17日のことですから、僕が中学3年生の時でした。その日は青空が広がる爽やかな日で、夏休み開始を3,4日後に控えた僕は学校から帰ってひとりTVを見ていました。すると突然石原裕次郎死去の緊急ニュースが。よほど僕は驚いたのでしょう。大慌てで母親を探して、その時母は叔父さん(父の弟)と親戚のお兄さんと外で会話中だったのですが、僕はそこまで全力で走っていき、「お母さん、お母さん、石原裕次郎が死んじゃったんだって!」と伝えると、母も驚いて一緒に走ってTVまで戻ろうとするその時までのシーンが鮮明に記憶に残っています。その時の、自分、母親、叔父さん、親戚のお兄さんの服装、天気、気温、明るさ、全ての雰囲気までもどういうわけか鮮明に記憶に残っています。その夜のTV番組の殆どが裕次郎死去の緊急特番に差し替えられたのも記憶にあり、よっぽどの大スターだったんだなぁと改めて思います。(裕次郎は聖子ちゃんと神田正輝の仲人でもありましたからね、聖子ファンの僕にしてみたら裕次郎に対して何かしらのポジティブな思いがあったのでしょう

そして僕のハワイ大学卒業式に出席するために母がホノルルまで来た際、一緒にホノルルのカハラ地区という超が100個ぐらい付く高級住宅街にある石原裕次郎の別荘まで行き玄関前で記念写真を撮ったのも良い思い出です。

昨日の夜、TV番組で「志村けんが属しているグループ名は?」という問いに、答えは勿論"ザ・ドリフターズ"ですが、「バカ殿グループ」とか「石原軍団」と答えていた平成生まれの若者がいて思わず絶句してしまいました。「石原軍団」と答えた子は「石原軍団」がお笑いグループだと勘違いしている様子で、最初は「馬鹿か?この子は」という思いで見ていたけれど、自分だって自分が生まれる前や子供の頃の事を聞かれたってわからないのだから、今の子が石原裕次郎も石原軍団も知らないのも当然のことで、それだけ月日が流れたんだなということをしみじみと感じました。

それにしても、自分の思い出が26年前、33年前.........と言うようにどんどん古いものになっていくのは、ちょっと寂しい気分でもあります。

YouTubeっちゃ、何でもあるね↓↓↓ 


石原裕次郎 逝去報道

 

今は1日も早く梅雨が明けることを願うばかり.......

では、また~