ゲイひとり大地を行く

50歳ゲイのひとりごと。19年間の社会不安障害との闘いを乗り越え、現在はより良い人生を求め日々模索中。

桜の樹の下で

先週東京へ行った際に、浅草近郊の隅田川沿いを散策しながら桜を見てきました。

あいにくの曇り空と小雨だったけれど、満開に咲き誇る桜に癒されながら穏やかな午後のひとときを楽しみました。

何もかもめざめてく.....♪ (Cherry Blossom by Seiko Matsuda in 1981)

そんな感じの春が好きです。

自分では夏が一番好きだと思っていたけれど、もしかしたら春が一番好きかも.....という新しい気持ちの発見もありました。

f:id:Masa-Oka:20210328122637j:plain

f:id:Masa-Oka:20210328123212j:plain


そして今日から4月。

今日は東京へ行った際のことをブログに書こうと思って準備していたら、28年前のことが頭にふっと浮かんできました。

アメリカ留学に出発する前、実家にある満開の桜の木の下で家族で記念撮影したなぁ.....と

今は亡き父も祖母も元気な姿で写っています。

それを思い出したことをきっかけに懐かしさにかられ、過去の日記みたいなもの(日記とは呼べないただの雑記帳)をペラペラとめっくってみると、ちょうど5年前の今日は父の膀胱癌の5度目の手術だったことが書かれていました。

読み続けてみると、余命宣告された日のこと、放射線治療の日のこと、父が僕の手を握りながらメッセージをくれた日のことなどなど、5年前の4月は毎日ぎっしりと父のことだけが書かれています。 

父が亡くなって2~3年はこんなものを読んだら大号泣してどうしようもなかったけれど、今はもちろん悲しいけれど落ち着いて読み返すことができるということは、僕自身が確実に前へ進んでいる証拠なんだと思うのです。

28年前の桜の木の下での記念撮影を突然思い出したり、過去の出来事をおさらいするように仕向けたのはきっと父であり、肉体はこの世から消えてしまったけれど魂はいつも僕を見守ってくれているんだなぁと感じました。

父が亡くまるまでの辛い過程も、桜の下での記念撮影も、僕にとっては全てが大切な思い出。財産(お金)はなくしたり誰かに持っていかれるかもしれないが、思い出だけは自分が忘れないかぎり自分の中から消えることはないし、まず第一に誰にも持っていかれません。だからこそ、これからも思い出だけは自分の胸の中で大切にしながら、前を向いて頑張っていこうと思った次第です。

そして、28年前に見たあの桜は僕が今まで見たどんな桜よりも断トツで一番綺麗だと思えるのです。

f:id:Masa-Oka:20210401165750j:plain

これは僕の実家にある桜です。満開になると写真を撮るために勝手に入ってくる不法侵入者が毎年出没します。

では、また~