ゲイひとり大地を行く

50歳ゲイのひとりごと。19年間の社会不安障害との闘いを乗り越え、現在はより良い人生を求め日々模索中。

社会不安障害を乗り越えて:池袋編

来月のアメリカ旅行に必要な物を買うために池袋へ行って来ました。

池袋......

そこはかつて、僕にとって恐怖の街。
僕の社会不安障害との19年戦争を語るうえでも、決して忘れてはいけない街。

平穏だった高校生活。高校3年の2学期に突然社会不安障害を発症し、前日まで普通に出来たことが恐怖で出来なくなりました。勉強にも集中できなくなり、大学受験は見事に全滅。結果、浪人生となり河合塾池袋校に通うことに。

初めての電車通学。とにかく電車が怖かったです。誰一人として僕なんか見てもいないのに、乗客全員が僕を見て笑っているという被害妄想。電車に乗って発車してしまったら、次の駅まで逃げられないという恐怖心。「○○線に電車が参ります。危ないですので........」のアナウンスが流れるだけで心臓が破裂しそうな感覚。それでも、何とか負けん気を振り絞って、毎日毎日、命を削る思いで電車に乗り予備校へ通いました。

予備校へ通い始めて約半年。池袋駅に到着するだけでもう精神的に限界でした。いちお池袋までは行くものの、予備校へは行かず丸の内線に乗り換え新大塚にあった図書館に通うようになります(その図書館を探しても見つからないのだが、今はもうなくなってしまったのか。それとも記憶違い?)

もし元気だったなら、勉強の合間に池袋の街を少しは散策でもして息抜きできたのでしょう。しっかりと前を向き胸を張って歩いて、「あっ、ここにはこんな店がある」「あそこにはあんな物がある」などと思いながら、歩いたことでしょう。でも僕にとって池袋そのものが恐怖の街と化していて、そんなことは一切できませんでした。いつも下ばかり見て、一日の勉強を終えると逃げるように帰宅していたので、池袋と言う街を殆ど知らないまま浪人生活は終わってしまいました。

その後も続く社会不安障害との闘いの中で、とにかく池袋へ通った時期が一番苦しかったせいか、池袋と聞くだけで、当時の電車や街中の空気感、匂い、音など自分を苦しめた全てのものが蘇り苦しいものでした。実際、池袋には長い間足を踏み入れることができませんでした。

そして昨日。

命を削る思いで通った苦闘の日々から25年以上過ぎた昨日。

池袋へ買い物へ行って来ました。

無印良品、LOFT、ランチを食べて西武百貨店で洋服を見て、東急ハンズへ。「うわっ、こっちの方が安くておいそう。ここにすればよかった~」「あ~、宝くじ売ってる。買って帰ろうかな」などと心の中でひとり呟きながら、しっかりと前を向き胸を張って歩き、自分の目に飛び込んでくる全ての物を脳裏にしっかりと焼き付けるように眺めながら、池袋でのショッピングを満喫してきました。

19年間という長い長い社会不安障害との闘いを乗り越えて、現在の僕には電車が怖い、人混みが怖いという感覚はありません。苦しい時期に楽しく感じることが出来なかった電車に乗ることや街の散策が、今では楽しくて仕方がありません。今でも、浪人時代(社会不安障害ピーク時)に苦しめられた電車や街の空気感、匂い、音などというものは自分の体の中にしっかりと残っています。でも、それがかつてのようにトラウマとなって不快に感じることはありません。

僕は自分に対して褒めてあげられることなんてありません。ただ、社会不安障害に負けることなくアメリカで大学卒業をしてきたこと、最終的に社会不安障害を乗り越えたことだけは褒めてあげたいと思います。

ショッピングを終えて、昭和の雰囲気満載な喫茶店で休憩をしました。抹茶クリームあんみつ(¥650)を頂きました。大変おいしゅうございました。歩き疲れていたし、あまりにもリラックスしすぎてボーっとしすぎたのでしょう。会計を済ませて外へ出た瞬間、何か軽いなぁと思ったら、なんと買い物袋を全部荷物入れの籠の中に置き忘れると言う大失態を。慌てて引き返すとお店の方が持ってきてくださいました。大大大反省.........

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こういう禁煙席も喫煙席もへったくれもない、昭和の喫茶店は絶対に存続してほしい。内装もおしゃれなカフェ風にリフォームしてほしくない。そんなことを思いながら、休ませて頂きました。そう言えば、この1階のケーキ屋さんは、はてなブログゲイグループの仲間であるToshiyaさんが紹介していたような.......長いことブログを更新されていないけど、元気にしてらっしゃるのかな?

アメリカ旅行まであと11日。あれもこれも用意しなくちゃで、だんだん焦り始めている今日この頃。

では、また~