ゲイひとり大地を行く

50歳ゲイのひとりごと。19年間の社会不安障害との闘いを乗り越え、現在はより良い人生を求め日々模索中。

誕生日と雅子さま

11月10日

またひとつ歳を重ねました。

泣いてもわめいても歳は誰でも重ねるもの。
何も言いません。素直に受け止めます。

以前は歳を重ねる度に少々ネガティブになりがちだったけど、今はどちらかと言うと"自分の年齢を受け入れてその歳を楽しむ"という思いの方が強いと思います。40代になってマイナスの部分もあるけれど、それとは引き換えに経験や知識など得たことも沢山あるわけだし、特に僕の場合は、社会不安障害から解放され精神的安定を獲得したということがあるから、20代、30代の時よりもずっとずっと今の自分自身に対して心地よく思えるのが何よりです。

さて、今回の誕生日。天皇皇后両陛下の即位祝賀パレードと重なったことがとても嬉しく思います。これから何十年か先のいつか、今日のパレードの様子がTVで流れそれを目にした時、この時は自分の4×歳の誕生日だったなぁときっと思いだすであろうと思います。なんだかそう考えると嬉しいような何とも不思議な気持ちになります。

パレードでの雅子さま。素敵でしたね。
まさに皇后陛下にふさわしい方だと思います。

天皇陛下雅子さまの婚約が正式に発表されたのは、僕がアメリカに留学する数か月前のことで、これから渡米して勉強する英語もろくに話せない僕から見れば、ハーバード大学卒で外務省勤務の雅子さまはとてつもなく凄い人に思えて、連日ワイドショーなどで流される雅子さまの姿を羨望の眼差しで見ていたことを覚えています。特に、あれはたぶん雅子さまが婚約内定後初めての外出の際だったと思うのですが、ご実家の玄関から白いロングコートをなびかせて出てこられた時の姿は強烈に印象に残っています。僕は1993年の5月に渡米したので、1993年6月9日の結婚の儀とパレードはTVで見ることができず、結婚の儀の最高視聴率が77.9%、パレードが79.2%という大フィーバーぶりを味わえなかったことは残念だったなぁと思います。

当時、アメリカから実家に電話をかけて母親にパレードの様子はどうだったのか聞いたのですが、隣の家のおじさんが急死して葬式の手伝いでパレードなんて見てる場合じゃなかったと言っていたこともよく覚えています。なんだか懐かしいです。

そして時は流れ、雅子さま適応障害と診断され公の場にあまりお姿を見せなくなります。僕が患った社会不安障害適応障害は似ている点もあるので、雅子さまのこころの傷みや辛さがよくわかり心配しておりました。

そんな中、雅子さま適応障害を理由にご公務をさぼっているだけと痛烈に批判する個人のブログやサイトを目にしたり、デ〇夫人による雅子さまに対する批判と皇太子位を秋〇〇様に移譲する署名活動について知った時には、苦しんでいる人に対してよくそんなことができるなと幻滅しました。何事も賛否両論が出ることは当然なので、雅子さまに対する批判がでること自体は自然なことなのでしょうけれど、それでも署名活動などは度が過ぎているかなと思いました。なんかその頃から僕は秋〇〇家がどうも信用ならないと思っているのです。だからあの胡散臭い小〇〇という男が現れ、真〇様のお相手というだけで本来なら受け取れないであろう奨学金までまんまとせしめてニューヨークで好き放題している男をどうにもできない秋〇〇夫妻の評判がガタ落ちし、天皇陛下雅子さまに注目が集まり、特に雅子さまの人気が再燃したことには非常に喜ばしく思っている次第です。

雅子さまが国民祭典とパレードのオープンカーで流された涙を見た時には、こころの病を経験した者として、雅子さまが流した涙の意味がわかるようでこちらももらい泣きしてしまいました。そして、皇后になられた雅子さまからは今まで見たこともない輝きと存在感が放たれ、それを見ているだけでこれからもずっと雅子さまを応援していこうという気持ちになりました。

今、家業が繁忙期で忙しく、バースデーケーキも何にも用意する暇がなかったけれど、パレードでの雅子さまの笑顔が見ることができて、なんだかいい誕生日になったような気分の1日でした。さあ、今日から4×歳。新しい年齢の1年間を大切にしていきたいと思います。

では、また~