ゲイひとり大地を行く

50歳ゲイのひとりごと。19年間の社会不安障害との闘いを乗り越え、現在はより良い人生を求め日々模索中。

ファースト・デイト

生まれて初めてのデートってどんなものでしたか? そもそも覚えていますか? 

この1週間、竹内まりやが歌う「ファースト・デイト」を聴いてとても感動し、繰り返し何度も聴いているうちに自分の人生で"初めてのデート"ってどんなものだったかなと考えてみました。※「ファースト・デイト」は1984年4月に発売された岡田有希子のデビュー曲。竹内まりやが作詞・作曲。僕は80年代アイドルの中では聖子ちゃんの次に岡田有希子が好きです。

歌の歌詞にあるように、WAKU WAKU 心が騒ぎ、何もかもがバラ色に見えるような、そんなデートでしたか? 

以前書いた記事の中で(
現在は削除)、僕の高校1年生の時のエピソードとして生まれて初めてのデートについて書いたことがありましたが、それをもう1度簡潔に説明すると、


同じクラスのS野君の紹介で他校の女子高生と知り合い、ある日曜日、僕とその彼女はBill Murray(ビル・マーレイ)主演の「3人のゴースト」という映画を見に行き、映画館は激混みで一番後ろで立ち見することになり、そして映画の途中、僕は貧血でぶっ倒れ、気が付いた時にはホールで映画館のスタッフと彼女に介抱されていたというのが、僕にとって人生最初のデート、正真正銘のファースト・デイトだったわけです。

当時の気持ちもよく覚えていますよ。
映画館でぶっ倒れたファースト・デイト以降もしばらくその彼女とは電話でのやりとりなどが続いたのですが、気持ち的にはとても苦しく辛かったです。というのも、16歳の僕は完全に男の子が好きでしたから、清純な付き合いではあっても、女の子とそういう関係になることは、自分の正直な気持ちに反しているものであって、でもこちらから別れを切り出せず、ただズルズルと続いてしまう。と同時に辛さだけがどんどんと増していく。その後彼女から別れを告げられた時は、筆舌に尽くしがたい幸福感、解放感、安堵感に包まれ、30年経った今でもその気持ちはまるで形となって目に見えるかのように記憶の中にはっきりと残っています。

僕の人生初のデートは、自分から好んで行ったものではなかったし、決してWAKU WAKU 心が騒ぎ、何もかもがバラ色に見えるようなロマンティックなデートではありませんでした。

では、ゲイとして生まれて初めてのファースト・デイトはどうだったのでしょう.....

これが残念なことに全くもって覚えていません。

24歳、ホノルルでゲイデビュー(僕が言うデビューとは初Hということね)。これは揺るぎのない事実です。初めての人、2番目の人、3番目の人。どの方もよく覚えています。初めてデートに行ったのは3番目の人であることも確実です。この3番目の人は、僕にとって初めての彼氏であり、約2年交際をした相手です。最後は本気でボコボコにしてやりたいほどメチャクチャでしたが、交際中は色々な所へデートに出かけました。沢山の思い出が残っています。でも、第1回のデート、ファースト・デイトはどこへ行ったのか、何をしたのかは全く覚えていません。

ただ、全く覚えていないと言っても、嫌な思い出としては記憶にないので、楽しいものだったことは間違いないと思います。高校1年生の時と違って、男の人が好きという本当の自分を隠すことも遠慮することもせず堂々と出来たこと、男の人とデートをしているという現実をその時の僕は幸せいっぱいに感じていたのだと思います。きっと嬉しさで舞い上がりすぎてしまって、記憶の中からポーンと飛んで行ってしまったのかなとも思います。

僕の記憶力がずば抜けて良いとか、日記をつける習慣があったならゲイとしての人生初のファースト・デイトがどんなものであったのか詳しく知ることが出来て、懐かしさで胸いっぱいになったであろうに、記憶も日記も全く残っていないのでは仕方がないことですね。

もし、次に出会う人があって、その人とのファースト・デイトがあるならば、その時はどんな内容であれ自分の記憶の中にしっかりと留めておこうと思っている次第です。言い換えれば、人生は1度きりなのだから、ふわりふわり、チャランポランにその日暮らしなどせず、一つひとつの出来事を大切にしていきたいと思っているのです。

では、また~


Mariya Takeuchi - Fāsuto deito