GAYひとり大地を行く

40代のゲイ雑記。19年間の社会不安障害との闘いを経て、バリバリのおひとりさまですが頑張って生きています。日々の暮らしで思ったこと、社会不安障害のこと、8年間の留学生活で学んだことなどを綴っていきます。

ゲイ友第1号と決別したこと~第11章

Mattです。

「ゲイ友第1号と決別したこと」シリーズ第11章です。

このシリーズを書くうえで色々と不愉快なことを思い出し、筆者ながらさっさとこのシリーズが終わりを迎えればいいのにと思うのですが、それが終わらないんですよ~。今考えると、よくもまぁ1号君と僕は続いたなとつくづく思うのですが、それは今後お話するとして、今日はさっさと11章に参りましょう。

さて、公園でST君に色々と話を聞かされてショックを受けた僕の中には、もはや1号君に対する怒りしかありませんでした。一方ST君は、隠していた全てをさらけ出すことが出来たせいなのか、今までにはなかった晴れやかな表情と語り口でした。

なにせ21年も前の出来事なので、どの順番でどんな会話をしたかというのは正確には思い出せないのですが、確かST君はストレートなのかゲイなのかも聞いたと思います。以前からストレートだとは言ってましたが、いちお確認のため聞いたんだと思います。そしてやっぱりストレートだと言いました。それ以上は突っ込みませんでした。

僕達は公園を出てST君のアパートへと向かいました。初めて訪れるST君のアパート。明るい色のレンガ造りの素敵なアパートでした。そして、1号君のアパートとわずか数分の場所であったことにビックリ。

f:id:Masa-Oka:20180405201021p:plain

グーグルストリートビューでST君のアパート探してみたけれどわからなかった.....左の建物の近くなのは確か。もちろん僕自身のアパートはちゃんとわかりましたよ。そして、1号君のも。何度通ったことか.......シアトルを離れてから21年。街が様変わりしていて21年って月日がいかに長いか実感します。


1号君が突然訪ねて来たりしないか確認したところ、「あいつは絶対に来ない!」「僕が呼び出しをくらうだけ!」と断言されたのでまずはホッとしました。僕たちが1号君の知らない所で会っていることがばれたりでもしたら、ST君に対する悪魔の儀式が更に進行し、全裸で両手を縛られ口にガムテープだけでは済まされないであろうことが予想できましたからね。その先はどんなことをされたんでしょう。全身ペロペロされたんでしょうか。う~、想像しただけで恐ろしかったです。今考えても恐ろしい。

ST君の部屋は日当たりの良い広々とした部屋でしたが、ほとんど物がなくガランとしていました。

そして突然ST君から、もう留学を切り上げて来月日本へ帰ることを告げられました。

以下:ST君と僕の会話 ST君は赤僕は青

来月日本へ帰ることに決めたんだ。

えっ? 帰るってもう留学辞めるってこと?

うん。だから荷物を処分したりしてるからこんなに少ないんだ。

それって1号君が原因?

うん

僕はせっかくST君とこうして近くなれたのに、もうお別れしなくてはならないことと、ST君が留学を辞める原因が1号君であることを知って、1号君への怒りが増しました。

ST君ってそもそも何でアメリカに留学したの?

子供の頃からどもりで悩んでいてひきこもりがちで、留学とか違う世界へ行ったらもしかしたら自分に勇気が持てるかもしれない、何か変わるかもしれないと思ったんだ。両親もそれを薦めてくれたんだ。

僕はこれを聞いて目頭が急に熱くなりました。

僕も留学前は社会不安障害という、電車に乗れない、買い物できない、人と話せない、その他普通のことが恐怖でできないという悪夢の中に生きていて、アメリカに行ったら絶対何かが変わると確信して来たわけで、ST君が自分を変えたい、苦しみから抜け出したいとアメリカへ来た理由にも心の底から共感したからです。

それをあの1号の野郎はST君の夢をぶち壊しやがって......更に怒りが増しました。

そして僕はアメリカへ来てから社会不安障害の症状もだいぶ落ち着いてきて、新しい友人もでき、ゲイを理解してくれる友人もでき、楽しくやっているのに、ST君は毎日毎日1号君にぞんざいに扱われて、怯えるように毎日を過ごして, 今日も楽しかったなと思いながら落ち着いて寝ることもできなかっただろうに.......

あの野郎........絶対に許せない。更に更に1号君への怒りが増しました。

帰る前に母親がシアトルに遊びに来るんだ。

お母さんはST君がつらい目に逢ってることは知らないんでしょ?

もちろん! そんなこと言えないよ。

僕はここでST君のお母さんの事を考えました。きっと息子はシアトルで楽しくやっているのだろう。そんな息子に会いにシアトルへ行こう。でも実際は、全裸にさせられ、両手を縛られ、口をガムテープで縛られ、往復ビンタをされ、車を没収されてしまっている..............何も知らないでシアトルで楽しく過ごしているであろう息子に会えると楽しみにしているお母さんの気持ち..........

もう絶対に許せない。1号の野郎。僕の怒りはピークに達しました。

ST君、車のこと警察に言おう!!! ねっ!!!

いや、僕が1号君に直接言う!!! 

もうそこには、今までの何も話さない、下を向いて怯えているだけのST君はいませんでした。彼の力強い声がガランとしたアパートの一室に響き渡りました。

そして、その後。

ST君は直接1号君に車を返すように言いました。

どんな風に言ったの?

おい、てめぇ~、さっさと俺の車返せよ。返さねぇと警察に連絡するぞ、おら~

僕は大興奮してST君に拍手喝采を送りました。

1号君は度肝を抜かれたようで、肩をすくめながら即、車を返してくれたそうです。

そして、1996年、秋がもうすぐやってくる頃、ST君は日本へ帰国しました。

僕はST君が1号君の往復ビンタをくらった夜以来、1号君とは一切会っていませんでした。こちらからは電話は一切しない、向こうからも来ない。おそらく、僕とST君が彼の知らなところで会っていたことは薄々わかっていたのだと思います。きっと恥ずかしくて僕に連絡をとることもできなかったのだと思います。その後も1号君と会うこともなく1996年は幕を閉じました。もう、僕と1号君の関係はこれで終わった、彼にもう会うことはないだろうと思いました。

1997年3月には、僕はシアトルの短期大学を卒業する予定です。さあ、最後の短期大学生活を一生懸命勉強してシアトル生活を楽しもう。そして、卒業後の事も考えなくてはと未来のことをワクワクしながら考えていました。

そして、1997年1月、1本の電話が鳴りました。

プルル、プルル...........

僕:Hello (シアトルだから英語で出る)

1号君:Matt、話したいことがあるの.......(シクシク泣いている)  

では、また~