GAYひとり大地を行く

40代のゲイ雑記。19年間の社会不安障害との闘いを経て、バリバリのおひとりさまですが頑張って生きています。日々の暮らしで思ったこと、社会不安障害のこと、8年間の留学生活で学んだことなどを綴っていきます。

ゲイを忘れた??? 1年間

Mattです。

 
 シアトルに移りホームステイを始めた僕は、シアトルのキャピタルヒル地区にある短期大学の1年生になりました。

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写真中央茶色の建物が大学です

 大学があるキャピタルヒル地区はシアトル最大のゲイタウン (今もそうなのかな?)で、ブロードウェイというメイン通りはレインボーフラッグが至る所に掲げられ、ゲイバーも勿論あるし、とても華やかな場所でした。

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今ではレインボーカラーの横断歩道があるようです

 僕は大学がゲイタウンのど真ん中にあることは入学してから知りました。学内はゲイフレンドリーでゲイを公表している教授や生徒も沢山いたし、あきらかにゲイっていう人が普通に手をつないでチュッチュチュッチュして歩いたりしてるから、当時21歳で男性経験ゼロ、ゲイビデオすら見たことがなかったウブすぎる僕にとっては、こんな所がこの世にあるんだぁ~とただただ驚くだけでした。

 21歳という血気盛んな年ごろで目の前にゲイタウンが広がっていたら、そりゃ初体験の相手でも探しにゲイバーなどに繰り出すのが普通かもしれないけれど、
ゲイバーに行ったりゲイ友ができるとかそういうのは最初の1年は全然ありませんでした。むしろ、こっちからそういうのいらないって感じでした。

 と、いうのもまず地理的問題。大学からバスで30分ぐらいの所にホームステイしてたから、早く帰る。夜は外出しない。次に社会不安障害問題。シアトルに移った頃には5~6割ぐらいに症状も抑えられるようになっても、まだ未知すぎるの世界にスパッと足を踏み入れるほどの勇気まではなかった。そして何より、学校で新しくできた友人達とのショッピングやランチなどのごく当たり前のことがあまりにも楽しすぎた.......

 僕は黙って立っているだけなら普通の男性ですよ。でもひとこと発したら100%ゲイ。ゲイ、ゲイ、ゲイ!!! 僕と実際に会話してみて、何も感じないならよっぽどの世間知らずかもぐりだと思うぐらいのゲイです(笑)

 それまでは、日本人には「おかま」とか馬鹿にされて何度も傷ついてきたけれど、ホストファミリー、その友人達、学校の友人、誰ひとりとして僕の物腰柔らかい立ち振る舞いを馬鹿にしたり、僕のセクシャリティについて質問することが1度たりともなく対等に付き合ってくれたから、もうゲイとかゲイじゃないとか、わざわざゲイであることを考え込んだり、「僕はゲイです宣言」する必要も全くなくて、自分自身をゲイとカテゴライズすることすらしなくなりました。21年生きてきてようやく普通の1人の人間になったって感じ。

 だから、わざわざゲイバーにいってゲイ友を探したりする必要もないぐらい、彼らとの毎日が充実してました。

 極端な話、もうそういうありのままの自分を受け入れてくれるだけで天にも昇るほどの喜びだったから、それだけで性欲まで満たされるようなところがあったかもしれない。だってホストファミリーの家でオ××ーした記憶ないもん。1年位しなかったんじゃない?まじで。まっ、それはありえないだろうけど、とにかくわざわざゲイであることを宣言して、どうか僕の事を受け入れてくださいと懇願してまで、生活せざるおえないような状況は全くありませんでした。

 ある時、当時40代の日本人ゲイに学内で知り合いました。その人に、「君、ゲイでしょ?」って聞かれたけど、「違います!」って答えましたもの。先述したように口開いたら誰が見てもゲイなのに、それに40代の大先輩のゲイの目を欺くことなんてできやしないのに、ゲイじゃないなんて言ったりして。それぐらい、自分の中ではゲイっていうものをないものとして生活していたんだと思います。

   ちなみに、この日本人ゲイには後日ゲイバーで遭遇して、正直に言わなかったことを怒られます。

 それと、このゲイであることをすっかり忘れてしまったような1年があったから、その反動かどうかしらないけど、
ハワイに移ってすぐ、僕の中のゲイが大爆発したのかもしれない.......それは、のちのち機会があったら書きますけど......

   そんなゲイとは無縁の1994年を終えて、1995年になって......しばらくして

   ダウンタウンの地下バスの駅でバスを待っていると、僕の肩をポンと誰かが叩きました。ハッと思って振り向くと、そこには1号君が立っていました。

 では、また~