GAYひとり大地を行く

40代のゲイ雑記。19年間の社会不安障害との闘いを経て、バリバリのおひとりさまですが頑張って生きています。日々の暮らしで思ったこと、社会不安障害のこと、8年間の留学生活で学んだことなどを綴っていきます。

ゲイ友第1号と決別したこと~第1章

Mattです。

前回のエントリーの最後に,
"僕は、ひがみ、ねたみ、嫉妬によって
記念すべき日本人ゲイ友第一号を失いました"と、書きましたが、
今回はそのことについて書きたいと思います。
長くなりそうなので分けて書きます。

さて、これまで何度も書いていますが
僕は1993年に初渡米し、まず語学学校に入学したのですが、
そこで3人の日本人と親しくなりました

簡単に、GAY友1号君(以下1号君)、Yちゃん、N君としましょう。


Yちゃん、N君、僕は同学年。1号君は1つ上。

それぞれクラスは違うけれど、狭い日本人社会。
なぜか意気投合し仲良しグループになりました。

1号君が一番年上ということもあり、
また彼はいつも主役でいたいタイプだったので(この性格が次第に破滅をまねく)
グループのリーダーとしてみんなを引っ張ってくれました。

週末にはみんなで集まり、
おしゃべりに興じたりごはんを食べにいったり、
それはそれは仲の良いグループでした。
11月の感謝祭の期間は1週間ぐらい学校がお休みになるので
みんなで旅行もしました。

その旅行の際、詳しい経緯は省略しますが
1号君と僕は互いにゲイであることを打ち明けました。
それまでお互いそうじゃないかなと思っていたので、
話の流れで自然と告白したという感じでした。
Yちゃん、N君にもゲイであることを告白しましたが、
何も変わることなく仲良しグループは維持されました。

しかし、ほんの少しずつ、じわりじわりグループに不穏な空気が........
僕、Yちゃん、N君は順調にクラスのレベルを上げていくのですが
1号君は一向に成績が上がらず下のクラスにとどまり続け、
きっとそのことでイライラしていたのでしょう。
それに、いつも主役でなくてはいけないタイプの人でしたので
自分だけ取り残されることにも頭に来ていたのでしょう。
まず、1号君はYちゃんにつっかかるようになりました。

1号君によるYちゃんへの説教が1時間も続くという時もありました。
Yちゃんはおとなしい子だから何も反論できないし、
僕もN君も何も反論できない。
そして、1号君のいないところでYちゃんを慰める。
そんな事が何度かありました。

でも、どうしても僕達は1号君から離れられなかったのです。
彼はエンターテインメントの能力に非常にたけていて

話はおもしろく話題に尽きない。
英語は上手ではなかったけれど、なぜかアメリカ人と仲良くなるのが得意。
1時間説教するような彼の怖い部分も見てはいたけれど
僕たちも色々なアメリカ人の方を紹介してもらえるし、
一緒にご飯に行ったり楽しい時間を過ごすことができていたので
そのままズルズルと関係が続きました。

そして、時は流れ
僕、Yちゃん、N君は語学学校を卒業し、
それぞれ、シアトル、ポートランド、ロサンゼルスの大学へ。
1号君はと言うと、まだ語学学校の下位レベルクラスに在籍したままでした。

僕はシアトルへ越すことになりますが、
1号君との関係はさらに親密になり、
そして複雑になっていくのです。

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1993年頃は、電子辞書はまだ主流ではないし
もちろんネットもスマホもないわけだから
紙の辞書を1回1回ひいて、調べ物は図書館へ行って探して大変でしたよ。
だから、今の留学生って楽なんだろうなぁと思う。

そんなことを思っている今日この頃


つづきは次回へ

では、また~