GAYひとり大地を行く

40代のゲイ雑記。19年間の社会不安障害との闘いを経て、バリバリのおひとりさまですが頑張って生きています。日々の暮らしで思ったこと、社会不安障害のこと、8年間の留学生活で学んだことなどを綴っていきます。

The 20th Wave in 1993~20番目の波は高かった~最終章

このブログがきっかけでアメリカ時代のダッさい自分の写真を

久々に物色していたら、ちょっとした発見をしたMasa-Okaです。

やはり、ゲイデビューのbefore and afterでは全然違う!

ハワイ時代なんてもう別人!!!(驚) といったことに気づきました。

 

そんな事はさておき、今日はThe 20th Wave in 1993 の最終章です。

この1993年はエピソードがつまりすぎて全て書いていたらいつまでも

先へ進めそうにないので、さっさと完結します。

 

 さて、1993年5月、成田を出発し、

"アメリカ合衆国。そこは僕を助けてくれるユートピア"

という思いを胸に、シアトル経由でワシントン州プルマンに到着しました。

 

そこには僕が求めていた電車もない、人混みもない、静かな静かな街が広がっていました。電車がないどころか、路線バスもろくに走っていない、タクシーも街全体に1台しかない、そんなのどかすぎる街でした。プルマンはいちお人口が2万人位の街ですが、あまりにも広大な土地に広がっているので人口が密集しておらず、緑に囲まれた穏やかな場所でした ↓↓↓

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そして何より素晴らしい人達との出会いが待っていました。

残念ながら日本人留学生の半分はクソったれでした。お前ら何しにここに来てんの?

わざわざアメリカまで来て日本人のちんことおまん×追っかけてるだけじゃん!というようなただの遊学生でした。

でも素晴らしい日本人も勿論いて、僕がゲイを初告白した日本人もこのプルマンで、初めての日本人ゲイ友もこのプルマンで出会いました。他国からの留学生は概して良い人が多かったです。

では肝心のアメリカ人はどうだったかと言うと.....

僕は学生寮に住んでいましたが、同じフロアーに留学生は僕ひとり。ルームメイトもみんな僕の下手くそな英語に嫌な顔一つ見せず、仕草とか雰囲気とか話し方などからゲイだと思ったことでしょう。でも僕を避けることなど一切なく、いつも声を掛けてくれて、誕生日もみんなで祝ってくれました。週末には僕の隣の部屋でマリファナパーティー開いてましたが、勿論、僕は参加しません! 一度だけ、「そんなことしたら駄目だよ」って言ったら「なんで~? Mattもやってみなよ~」なんて完全に逝っちゃってる様子でした(笑)。シアトルのギャング出身の子もいて、僕がシアトルに引越すことになった時には、色々とアドバイスをくれました。 アドバイスといってもギャングの銃撃戦に巻き込まれないためにはどうしたらよいのかという凄いアドバイスでしたけど(汗)

 

日本では「お前、おかまみてぇ~だな。気持ち悪いからあっちへ行けよ。シッ、シッ」という扱いを長いこと経験したから、こんなに親切にされて、何て言ったらいいのかな、もう幸せとか、そういう単純な言葉では表現できないものを感じました。

そして、何よりもゲイであるということを隠さないで付き合える人と出会えたというのが1番の救いだったのかもしれません。心配だった社会不安障害の症状はそれまでの4割程度位まで抑えられるようになっていました。

 

"アメリカ合衆国。ここは僕を助けてくれるユートピアここは僕が住むべき場所"

と確信しはじめたとき、前述の日本人留学生のクソ野郎ども3人が

「あいつはおかまだから、あっちこっちでケツ貸しまくってんじゃね~の」と

僕をあざ笑っている現場に遭遇しました。そういうこと言われるのはもう慣れっ子だから、ただグッと怒りを抑えてその場を立ち去りましたが、その時

"あいつらだけには絶対に負けるもんか。このままアメリカに残ってアメリカで大学を卒業しよう"と断固たる決意をしました。

 

ワシントン州立大学の英語コースを終了して、親との約束であった1年で帰国し日本の大学へ復学することはなくなり、アメリカで大学を卒業することになりますが、このプルマンに来て以来、シアトル、ハワイと僕の人生はまるでロケットのように高く高くより良い方向へ止まることなく上昇して行きます。

 

そもそも、1993年から2001年までアメリカ合衆国と言うユートピアで暮らすことが出来たのは、僕が二十歳であった1993年に、未来が見えず社会不安障害に苦しんでいた状態でも自らの意志でアメリカ行きを決意し実際に行ったということがあったからこそのことです。毎年1度だけ人生に波がやって来るとするならば、僕の20番目の波は本当に高かったんだなぁと強く実感します。その20番目の波は僕をアメリカという未知の世界に押し出してくれて、それまでの苦しみをさらって行ってくれたのですから.......

 

1月8日の成人の日にちなんて、僕が二十歳であった1993年について3回連続で長々と書かせて頂きましたが、読んでくださった方、お付き合いくださってありがとうございました。

 

これからも色々なこと、例えばゲイデビューのことや、とんでもない男どもの話なども小出しに書いていきますので読んで頂けたら幸いです。

 

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 懐かしいという言葉より、ダサっ!しか出てこない.......

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 ひぇ~、もうダサイを通り越して逝ってます............

 

 はぁ~、昔の写真をみて溜息と顔から火が出る今日この頃

 

では、また