GAYひとり大地を行く

40代のゲイ雑記。19年間の社会不安障害との闘いを経て、バリバリのおひとりさまですが頑張って生きています。日々の暮らしで思ったこと、社会不安障害のこと、8年間の留学生活で学んだことなどを綴っていきます。

The 20th Wave in 1993 ~20番目の波は高かった②

今日から3日間お仕事はお休み。

年頭に"きちんと生きる"宣言してるので、休みと言えども

ダラダラしないMasa-Okaです。

 

さて、昨日の続き書かせてください。

 

留学ガイドという雑誌の虜になった僕は、誰にも相談することなく自分ひとりで当時渋谷にあったICS国際文化教育センターの留学無料相談に参加しました。

 

今、このことを振り返ると非常に不思議だなとも思います。人と接することに怯えながら生活をしていたのに、どうしてアメリカへ行ったら大丈夫だと思ったのでしょう。日本語で日本人と話すことすら怖くてできないというのに、言葉の通じない、誰一人知らないアメリカでどうやってやっていこうと考えていたのでしょう。社会不安障害が更に悪化するかも知れないのに、家族のもとに帰りたくてもすぐには帰ってこられないのに.......

 まず第一に、あの精神状態で無料相談にひとりで参加しとこと自体、"すごかったね自分"と思います。とにかく今いる環境から逃げ出したかったんでしょうね。電車もない、人混みもない、誰も知らないそんな所へ行きたい。もう失うものはない。そんな気持ちでしたね。そこに二十歳という"若さ"が力を貸してくれたんだと思います

 

でも、両親は案の定大反対。僕は関東人ですけど、アメリカに行かせるなんて、北海道や九州にやるのとは訳が違いますからね。1年浪人してせっかく大学に入ったのに、しかも1992年にルイジアナ州で日本人留学生が射殺されて大きなニュースになってましたから、もう大大大反対でした。今では当時の両親の気持ちよく理解できますが、当時は僕も断固として折れませんでした。最終手段として、自分の気持ちをありったけ便箋5枚程度にまとめ両親に渡しました。そして、

  • 留学は1年間とする
  • 帰国したら日本の大学に復学し卒業すること

を条件に留学を許可してもらいました。

 

かくして、1993年5月、ワシントン州のプルマンという小さな町にある

Washington State University (ワシントン州立大学)付属の

Intensive American Language Center と呼ばれる留学生のための

集中英語コースプログラムに参加するため渡米を決行しました。

 

初めての海外、初めての飛行機、未知の国アメリカ合衆国

不安は全くありませんでした。

"アメリカ合衆国。そこは僕を救ってくれるユートピア"

ただそれだけを信じて飛び立ちました。

 

この時はまだ、まさかこの先8年間アメリカで生活するように

なるとは自分も含めて誰一人として想像すらしていませんでした。

 

そして、何より

アメリカでゲイデビューを果たすことになる

ということも当然のことながら当時の僕には知る由もありませんでした。

 

どんなデビューになるんでしょうね(笑)

 

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1993年5月成田空港、搭乗ゲートに向かう

てかっ、ダサッ! 

25年も前の事だから笑わないでね。

これからもダッサダサの昔の写真 機会があったら

アップロードします。

 

仕事が休みでも早起きする今日この頃

 

では、また